阪神淡路大震災 30年

阪神淡路大震災から30年。



もう、阪神淡路大震・・・と、

ここまで打っても予測変換は出てこないんですね。

それくらいの年月が経ったということなんでしょう。



生まれて一ヶ月。

生後1ヶ月の私を1月中旬の寒空の下

守ってくれて本当にありがとう。



この日は毎年、両親や親戚など自分の周りの人たちに改めて感謝をする日です。

もちろん記憶もないし何も知らないので当時の写真や経験者からのお話からの想像しか私の頭の中にはありませんが、それだけでもこうして文を打っていると涙が出てきます。



母と祖母が震災当時の話をしていた時がありました。

母が涙目になりながら「あん時は地獄やったなあ」と言っていました。何気ない一言だったけど "地獄"という言葉がすごく重く私の心にずどん と、響きました。




私は30年生きてきて、人の死体というものは祖父が亡くなった時の 綺麗な姿の死体 しか見たことがありません。

だけど当日23歳の父は瓦礫の下敷きになっている人たちを助けに行ったと。

何人もの死体を見たと言っていました。私には想像もできません。



水が出ないのも真冬にお湯が使えないのも家の屋根がなくなってベッドから空が見えるのも、なんっっにも想像が出来ません。

大変だったんだろうな....なんていうそんな安易な発言しかできず、、、実際どれぐらい大変だったかなんてはっきりいって全く想像出来ないし分かることもできません。


思い出したくない人もいるだろうし、この日が一年で一番嫌いな人もきっといらっしゃると思います。


だけど1月17日という日は私にとって1年に1度必ず両親や周りの人たちへ感謝の気持ちを思い出させてくれる大切な日にもなりました。



お休みだから1日ゴロゴロしよ〜なんて日だってもちろんあるし、

今日はもういいや。なんて日もあります。

毎日を精一杯必死に と言われればそうでない日もあるけれど、

そんな日を過ごせるのも当日大切に守り抜いてくれた両親のおかげです。



だから私はこれからも感謝の気持ちを忘れずに、

明日からも楽しく、自分の周りにいてくれる人たちへ

笑顔を届けながら生きていきたいなと思います。




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私の思い出日記

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